くるめ園は救護施設です。

身体障害者福祉法には「身体障害者の更正を援助し、その更正の
ために必要な保護を行い…」となっています。
だから更正の見込みがないと判定されると、
この法律による施設には入所できません。

くるめ園は、障害の重い人達の生活の場とすることを
その趣向としているので、福祉法の適用を受ける施設ではなく、
生活保護法第38条2項「身体上又は精神上著しい障害がある
ために日常生活を営むことが困難な要保護者を入所させて、
生活扶助を行う事を目的とする施設とする。」という規定に
よっています。しかし、救護という名称から想像されるように、
施設基準は保障の面でも他福祉法と比較すれば、いろいろな
矛盾をかかえており、たくさんの課題を抱えております。


■ 入所者状況(PDF)

■ 年譜(PDF)

■ 書物
 田中豊/田中寿美子 
  シリーズ 福祉に生きる
■ 映画
 記録映画 車椅子の道

故 浜秀夫 氏
故、浜秀夫氏より寄稿

1960年東久留米市の一角に「くるめ園」は誕生した。
当時の日本は敗戦の痛みから逃れ、高度成長期に入らんと
していた時期で、学園では日米安保反対闘争が警察の機動隊と
大学生が町の至る所でもみあっている時代であった。
そんな時代に私たち重度障害者のおかれていた立場は,
家庭や社会から邪魔者扱いされていた。そんな障害者の事に心を
痛めた田中豊先生は、同じ生を受けた人間なのにどうしてこんな
差別があってよいものかと自分の住む家の一部を障害者に開放して
家族が持て余している重度障害者を2,3人引き取って世話を始め
られたのが、くるめ園の始まりだと聞いている。地域の人たちの
暖かい協力とこの事を聞いて都内の学生が奉仕にかけつけたと
聞いている。そして2年後生活保護法によって救護施設として
認められた。それから重度障害者の入居希望者が増え始め、
その厳選に戸惑ったという話も聞いている。くるめ園も入居者が
増え続け,幾ら部屋を増設しても追いつかず、昭和40年の後半
には4人部屋に6人が押し込まれ,息苦しい生活をしていたと当時
を知る入居者が語っていた。この事態に施設の創設者である田中
先生は時の厚生大臣にくるめ園の施設を視察するようにと要請して、
実現した時、障害者の人権を守るために新しい施設を作るよう、
またくるめ園で生活をする障害者たちには、もっとゆとりがある
ようにしてもらいたいと、施設の皆が厚生大臣に要望した。
この願いが叶えられたのが昭和50年、東京都が重度障害者施設
「清瀬療護園」を建設したのを機会に、くるめ園からも半数ちかい
ものが新しい施設に移っていった。その後10年程して建物が古く
なったので平成元年9月に小平市のまりもビル内に移転して現在に
至っている




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